歴史(2002年)

◆文責◆ dqmaniac@極限攻略研究会

●2002.12.30 おてうさん引退、OB

冬コミ終了後、来年から社会人(しかも関西勤務)となるおてうさんが引退表明(OBに)。既にShinさんも事実上引退しており、これで現役会員は6名となった。同時に、通販担当を井戸中蛙さんに引き継いだ。

●2002.12.29 冬コミ(コミックマーケット63)

オフセット本として『DQIV for PlayStation MANIAX』を発行。コピー本新刊としてはDQV低レベル戦術本、DQVII一日クリア本、DQVVIVII一人旅本、ロマサガ3一人ワンセーブノーダメージ本を発行した。MANIAXとDQVII本は販売冊数を3桁の大台に乗せ、他の新刊も順調に売れ続けたため、販売数・売上高ともにまたしても過去最高を記録した。

今回は合体相手の『快適攻略研究会』も当選し、2スペース確保できたのが大きかった。そのおかげで、新刊・既刊合わせて計18種類の発行物を何とか並べることができた。ただそれでもスペース不足だったため、工夫を凝らしてスペースを捻出した。まず、同じ島で反対側の島端を確保していた東京大学ゲーム研究会(TGA)に3種類ほど委託させてもらった。また午前中に完売が続出したため、空いたスペースに次々と既刊発行物(過去の個人誌や会誌など)を配置し、順次捌いていった。それでも全体的にスペース不足であることは明らかなので、次回こそは壁スペースを奪取したい。

新たな試みとして、特大ポスターを用意した。畳半畳ほどもあるものを井戸中蛙さんの手で作成してもらい、島端であることを利用して掲示したところ、スペースから10m近く離れていても余裕でサークル名と新刊が認識でき、その宣伝効果は大きかったと思われる。また、行列ができたら販売物一覧ボードを回したりペーパーを配布したりするなど、販売時にも随所に工夫を凝らした。

事前準備については相変わらず締切直前になっての作業が多く、ほとんどのメンバーが修羅場を体験することになった。余裕を持って完成したのはPONさんの一人旅本くらいではなかろうか。筆者のDQV本にしても、当初はスケジュールの都合から発行を諦めていたが、12月中旬になって少しだけ生じた空き時間を利用し、企画立案→版下制作→校正→印刷・製本を一気に進めた。

特に冬コミは夏コミ終了から4ヶ月半しかなく、毎回修羅場と化す。次回からはもっと計画的に作業を進めたいと毎度のことながら思っているのだが、締切直前にならないとエンジンがかからないとか、コミケ前が修羅場でなければ淋しいとか、同人サークル特有のろくでもない体質に毒されつつあるのもまた事実だったりする。

●2002.11.16 / 12.01 『MANIAX』校正会議

dqmaniac城に編集メンバーを迎えて開催。井戸中蛙さん制作の版下を複数のメンバーで実際に見ての確認が目的であったが、単なる校正作業だけではなく、画像のキャプチャーや実機での検証なども同時に行った。またB5判(まにあっくす2の判型)からA5判(MANIAXで予定されていた判型)へのダウンサイジングにあたり、最も気になっていたのは「文字が小さくなって見づらいのではないか?」ということだった。読んでいて目が疲れるような本は作りたくなかったため、事前に一部の版下をネット上でやり取りして何度か注文をつけていたのだが、最終的にはこの会議の場で決定した。これに関しては先に発行された『武器屋トルネコ究極解析』で実験した成果も大きい。

なお、本来は校正会議の時点ですべての版下を揃え、以後の作業は校正結果の反映だけで済ませる予定だった。ところが未調査項目が依然として残っていたり、フォーマットや表現の統一に手間取ったりしたため、12月に入ってからも作業が続くこととなってしまった。実は11/22から3日間に渡って開催された『東京大学駒場祭』の場でも若干の校正作業を行っており、未調査項目の殆どは当日nmaさんから御指摘を受けた箇所ばかりであった。

●2002.11.03 DQオンリーイベント『天ムコ』

井戸中蛙さんの新刊『武器屋トルネコ究極解析』を発行。これはDQIV第三章の特殊攻略のみにスポットを当てただけでなく、ボンモール防具買い取り商人の最大効率を得るために数学を駆使して解析を行ったという点で、極めてマニアックな作品である。また今回は新たな印刷所を試してみたのだが、品質とコストを勘案すると理想的なパフォーマンスが得られた。そこで、冬コミで発行予定の『DQIVまにあっくす3』でもこの印刷所を利用する見通しが立ったのであった。

DQオンリーイベントでは、攻略系サークルとして参加しているのは毎回我々だけである。従って売上も微々たるものであり、むしろ来場者との交流を目的に参加するのが常だった。ところが、今回は売上の方も少し伸びたのが特徴である。

●2002.09.28 おてうさんがDQ7を裏ボスまで21時間59分でクリア【実況】

参考URLはこちら。2000年3月におてうさん自身が記録した『THE ENDまで21時間32分』を上回り、初回クリア時で17時間48分、4精霊撃破時で21時間59分という金字塔を打ち立てた。平均プレイ時間が100時間とも言われているあのDQ7を1日以内で、しかも実況というプレッシャーがかかる状況で本当にクリアしたという事実は、やり込み界に驚愕を与えた。

●2002.08.10 夏コミ(コミックマーケット62)

オフセット本として『FFVIレベル6×3人攻略&低歩数攻略』(HMX-2012さん)を発行。コピー本新刊としては1年ぶりに会誌を発行した他、PSDQIV本を3種類発行した(データ集・やり込み集・装備禁止)。さらにMS-06さんがFFVFFVI・ティアサガの個人誌(計276ページ!)を制作し、新刊8種類というかつてない充実ぶりであった。中でも『DQ4やりこみガイド』(おてうさん)は史上初の3桁完売を達成。他の新刊も順調に売れ続け、販売数・売上高ともに過去最高を記録した。

今回は合体相手のKKK(快適攻略研究会)が残念ながら落選してしまった。また、PSDQIV専門のサークルとして申し込んだ『DQ4 極限データベース』も、ネット上の知名度にもかかわらず落選。ただ、隣の『早稲田大学ゲーム研究会』さんのご厚意でスペースを一部ほぼ全部使わせていただくことができ、新刊・既刊合わせて計17種類を何とか並べることができた。

それにしても2サークルで計17種類の本を50部くらいずつ机上に山積みにするのは、周辺のサークルと比較してももはや異常と言って良い。本音を言えば壁スペースが欲しいが、大手サークルの域にはまだ達していないらしいので、今後取れるかどうかは微妙である。次回もジャンルごとにやり込み系のサークルを立ち上げて申し込むほか、委託先の開拓、通販の強化、他のイベントへの参加も随時検討していきたい。

今回は新たな試みを色々と行っている。まずは発行物の相互校正。多くの人に読んでもらい、しかも有料で販売する以上、ミスは可能な限り減らすのが当たり前である。同時に、対象ゲームをある程度やり込んでいる会員同士でチェックすることで、新たな視点からのやり込みが生まれることもあり得る。次にコピー本印刷日の2段階設定。これにより、早く完成した新刊については宅配便搬入して当日の持込負担を軽減しつつ、間に合わなかったものについては例年通り直前の印刷・製本を行うということが可能になった。さらに、当日の販売では井戸中さんの力作である手持ち看板×4が威力を発揮。後ろの方にいる人にも見えるため大変好評であった。

●2002.05.31 ファミ通『やり込み大賞』

おてうさんのPSDQIVやり込み作品『一撃最大ダメージ最少クリア』『リアルタイムアタック』が同時掲載され、PSDQIVやり込みページの実に4分の3を独占(計8,000ガバス獲得)。巷では「届かない」と評判(?)のガバスも、夏コミ直前になって届いた。

●2002.05.25-26 東京大学五月祭

メインイベントとしてDQIVリアルタイムアタック大会が開催され、おてうさんが6時間50分の好タイムで、前回の覇者であるシグさんを破って優勝(※PS版での直接対決)。FC版で挑んだPONさんも健闘。実は8逃げを駆使してデスピサロ全形態を僅か5分でKOしたシーンが最大の見せ場だったかもしれない(笑)。

また、五月祭直後に5回目の夏コミ当選が判明。6月に入ってからは夏コミに向けたやり込みやデータ収集、編集作業が本格化することになる。

●2002.05.21 第二期ULTIMAGARDEN CUP

MS-06さんの大作『ティアリングサーガノーセーブノーダメージクリア』が堂々の2位入賞。ゲームそのものの知名度、そしてネット上での知名度という点では1位の『FFVII低レベルひとり戦闘プレイ』に一歩を譲ったが、ノーセーブノーダメージという常軌を逸した難易度の高さが多くのやり込み人の支持を得た。

●2002.01.25 ファミ通『やり込み大賞』

おてうさんのPSDQIVやり込み作品『第一章レベル1・30分以内クリア』が掲載された。『DQ4 極限データベース』での宣伝効果もあり、‘おてう@極限攻略研究会’の名が一気に知れ渡ることになった。なお、この作品をベースにした『第一章極限条件クリア』が後日達成され、その全貌はコミックマーケット62で発行された個人誌『DQ4 やりこみガイド』にも収録されている。

●2002.01.23 『DQ4 極限データベース』に‘やり込みコンテンツ’追加

PSDQIVの通常攻略が一段落した後、『DQ4 極限データベース』ではやり込みに特化したコンテンツを徐々に増やしていった。また、この頃アクセス数が100万を突破した。

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