歴史(2001年)

◆文責◆ dqmaniac@極限攻略研究会

●2001.12.29 冬コミ(コミックマーケット61)

オフセット本として『FF5低レベルABP0ワンセーブクリア 初版第2刷』を発行。コピー本新刊としてはPSDQIV本を3種類発行した(データ集・低レベル攻略・短時間攻略)。また、委託としてPararaさんのFCDQIV低レベル攻略ガイド最新版を販売。以上5冊はいずれも歴代トップレベルの売上を記録し、PSDQIV本に至っては持ち込み部数が少なかったこともあって13時前後には相次いで完売した。

今回は合体相手の京都大学ゲーム同好会KUGAが残念ながら落選してしまった。また、同じく落選してしまった東京大学ゲーム研究会からも委託を受けることになり、実質3サークル分を1スペースで販売することになった。よって事前に販売物の絞り込みを行ったが、その結果既刊発行物の大半を机上に全く並べられず、非常に残念だった。もはや極限攻略研究会だけでも活動レベル・規模が3〜4スペース分に達しているため、次回以降はジャンルごとにやり込み系のサークルを立ち上げて申し込む予定である。

それにしても、例年冬コミは準備期間が短く、12月は修羅場と化す。FF5オフセット本は、締切前日に面付け作業を都内の喫茶店で行い、印刷所へ宅配便送するという慌しいスケジュールであった。DQ4まにあっくすは『DQ4 極限データベース』の情報を整理しつつ、5日間の突貫作業で制作。DQ4短時間攻略ガイドに至っては冬コミ当日に製本していた。

●2001.12.15頃 極限HPに新コンテンツ『日記』設置

12月に入って、英さんから「多くの人に定期的に巡回してもらえるように、頻繁に更新される企画が必要」との提案がなされた。それに基づき、会員の日記にリンクを張るという形で『日記』というコンテンツを新規に設置した。また、この頃HPへのアクセス数は1万を突破した。

●2001.11.23-25 東京大学駒場祭

筆者はPSDQIVの攻略を一通り終えた24日から参加。『DQ4 極限データベース』管理メンバーのほとんどが集まったが、発売直後ということもあって、ひたすらPSDQIVをプレイしていた気がする……。

●2001.11.18 極限HPリニューアル/『DQ4 極限データベース』公開

これまで極限攻略研究会のホームページは筆者のサイト内の1コンテンツとして運営してきたが、筆者に管理する時間がなくなってきたこともあり、デザイン面で優れた才能とノウハウを持つ井戸中蛙さんに一任することにした。その際、従来の情報に加えて‘デザイン面の大幅強化’‘通販情報の掲載’‘外部用掲示板・リンク集設置による外部の方との交流拡大’を目指した。井戸中蛙さんを中心に夏コミ前後から構想を練り、コンテンツの吟味を重ねてついにこの日に正式公開するに至った。

また、同じ日にはおてうさんの尽力で『DQ4 極限データベース』が公開された。総アクセス数8桁という巨大サイト『いっしょにTALK!』と提携し、22日発売のPSDQIVの極限攻略に向けた‘通常のデータベース+マニアックなデータベース’を目指した。このコンセプトは大当たりであり、発売直後には2万アクセス/日を記録するなど大ヒットとなった。その後も人気は衰えず、年内に50万アクセスを突破している。

●2001.09.26 第一期ULTIMAGARDEN CUP

MS-06さんと筆者の共同作品『DQVI 8人平均レベル2でクリア』が2位入賞。PONさんの『FFVバッツひとりクリア』も3位入賞を果たした。ULTIMAGARDENの目玉企画の初回ということもあってバラエティに富む作品が多数集まったが、その中で上位入賞という結果を出せたのは嬉しかった。

●2001.08.10 夏コミ(コミックマーケット60)

オフセット本として『DQ7まにあっくす2』を発行。この本は過去最高の売上冊数を記録した。サークル全体の売上高もわずかに前回を上回った。この他、DQIII・V・VI・VIIFFV、F-ZEROの極限攻略のダイジェストをまとめた『極限攻略研究会会誌第3号』を発行。新刊としてはさらにおてうさんのDQVII本、HMX-2012さんのFFV本、英さんのF-ZERO本、筆者のTOD本を発行し、大好評を得た。また、委託としてはっぴぃさんのDQVIIフォズ究極解析本を販売し、こちらもフォズマニアたちの支持を得た。

今回は京都大学ゲーム同好会KUGA(英さんの所属サークル)との合体という形で参加し、かつ東京大学ゲーム研究会がKUGAの隣にいたため、いわば‘身内’が3スペース並んで参加していたことになる。だが、3サークルの発行物は新刊10種類を含む20種類以上に達している。ダミーサークルでは決してこうはいくまい(笑)。というか、現在そして将来の極限攻略研究会の質的・量的な実力を考えると3スペースでも不足だ。将来はやり込み系のサークルをもっと増やして1つのジャンルを形成するくらいの気概で活動していきたい。

DQ7まにあっくす2』の制作は筆者がある程度進めておきつつ6月・7月に参加者有志が集まって行うなど、前回までに比べれば余裕があった。もっとも、印刷所の締切が夏コミの1週間前(!)だったことも大きい。価格重視で選定した印刷所だが、締切が遅く、画像や網掛け部分の品質もコピー本(というかゲスプリ本)とほぼ同等である。次回以降も大いに利用させてもらうとしよう。

だが、オフセット本の編集作業を7月末までやっていたため、コピー本にはほとんど時間を割けなかった。筆者自身はTOD本第2弾を発行するのが精一杯で、発行を予定していたDQV本には手が回らなかった(編集作業以前に、攻略が終わらなかった)。

また、この夏コミを機に、これまでは申し込みがあった時にのみ筆者が細々と行ってきた同人誌の通販について、正式に体制を確立した。おてうさんが窓口となり、会誌に通販情報を掲載するなどして宣伝を行った。

●2001.06.10 『DQ7まにあっくす2』編集作業

英さんの上京に合わせて、駒場キャンパス内某所にて編集兼データ収集。筆者はボスデータ、PONさんはチャートをひたすら編集し、英さんとおてうさんはダメージ範囲の調査等をひたすら行う、という感じで進められた。編集作業中に疑問点とか皆で案を出すべきところが出てきた時は即座に解決し、ネット上よりもはるかに効率よく進められたと思う。

終了後、渋谷にて極限攻略研究会の今後の方針についていろいろと意見交換。『ULTIMAGARDEN』運営に関して木村昌弘さんもおっしゃっていたが、やはりネット上のコミュニケーションには限界があり、直接会って話すことの重要性を痛感。加えて、参加人数が増え実力と知名度もそこそこ上がってきたことに伴い、組織化が必要という案も出た。だが筆者は、東京大学ゲーム研究会でも極限攻略研究会でも、「各人が自発的に楽しんで参加できるようにするため、義務・強制を極力排除する」ことを目指してきた。義務と強制は会社だけでたくさんだ。果たして組織化と両立できるのだろうか。

●2001.05.26-27 東京大学五月祭

26日にメインイベントとしてSFCDQ3リアルタイムアタック大会が開催された。世界記録(3時間55分:当時)保持者であるシグさんが4時間9分という驚異的なタイムを叩き出し、M7さん、英さんを抑えて圧勝。2位のM7さんも5時間を切っており十分に速いのだが、シグさんの速さは常識を超えていた。当日は常時50人を超える人が観戦するなど、大会は盛り上がった。

翌27日には木村昌弘さん、ZEZAさんが来訪。やり込み総合サイト『ULTIMAGARDEN』の運営方針に関して打ち合わせを行う。このサイトには極限攻略研究会メンバーからも4名が参加しているし、今後も協力関係を保っていくことになるだろう。また、極限攻略研究会の有志により夏コミの打ち合わせが行われた。夏コミで発行予定の『DQ7まにあっくす2』の編集方針もこの時点でほぼ固まった。

●2001.05.13 DQオンリーイベント『それとん』・メンバー8名に

DQオンリーイベント『それをすてるなんてとんでもない!』に、井戸中蛙さん主宰のサークル『Team Flame Magician』と合同でサークル参加。DQIII・V・VIの低レベル攻略ガイドや会誌を販売。攻略系のサークルは我々だけだった。

また、イベント終了後に井戸中蛙さんが新たに参加表明。SFCDQIIIDQVIの緻密なデータ収集と『非公式ガイドブック』発行という実績も併せ持ち、今後の活躍が期待される。

●2001.04.19 メンバー7名に

DQVIIの鬼、おてうさんが新たに参加表明。DQVIIだけでなく、DQIIの極限最低に近い攻略とか、DQIVのタイムアタックにも挑戦中とのこと。また1人心強い仲間が加わった。

●2001.02.09 ファミ通『やり込み大賞』

MS-06さんの『DQVIIレベル1キャラのみでクリア』、堀田康隆さん及び筆者の『DQVIノーセーブ短時間クリア』が掲載される。前者については‘プレイのすべてを録画する’という応募条件をあえて蹴り、ボス戦だけを録画したビデオを送付したのにもかかわらず第1面に掲載され、最高レベルの1万ガバスという評価を得た。後者については、筆者が構築した短時間攻略の理論を堀田さんがさらに極め、かつノーセーブでの約14時間連続プレイという過酷な条件を追加して応募したものである。

●2001.01.26 メンバー6名に

東京大学ゲーム研究会の後輩、PONさんが新たに参加表明。DQIVタイムアタックやFFVDQVIの1人旅で実績を挙げ、現在はDQVIIのやり込みにも挑戦中とのこと。また1人心強い仲間が加わった。

●2001.01.06 内部用掲示板・ミラーサイト開設

2000年まで、筆者は「管理する暇がない」という理由からHPに掲示板やチャット等を設置していなかった。実際、唯一の双方向コミュニケーションの場であったゲストブックだけでもレスが遅れがちで、下手をすると2〜3ヶ月も放っておくこともあった。だが、会員間のやり取りが増加し、東京大学ゲーム研究会の会議室やチャットで頻繁に事務連絡を行うわけにはいかなくなってきたのと、無料で使用できる掲示板をたまたま見つけたのとで開設に踏み切った。

管理する暇は相変わらずほとんどないのだが、とりあえずメインサイトからは隔絶した場所に設置し、書き込む人を事実上会員に限定することで解決している。もっとも、将来はさらに会員を募り、外部との交流も活発化させたいと考えている。しかるべき時が来たらメインサイトからリンクを張り、やり込み系サイトでも宣伝を行う予定である。

また、極限攻略研究会のサイトはこれまでジオシティーズの筆者のサイトの一部として設置していたが、不測の事態(データ消失等)に備えてWeb上にバックアップを取っておきたいという考えは昔からあったし、「広告が鬱陶しい」という意見も存在した。そこで、利用しているプロバイダ(AT&T WorldNet)で50MBまで無料でHPを持てるようになったのを機にミラーサイトを開設した。

ミラーサイトと言っても実質はバックアップサイトだし、メインサイトとミラーサイトの両方を毎日更新している暇はない。そこで、ミラーサイトには「今後しばらく更新する予定のないもの」「データや攻略としてある程度まとまったもの」を中心に置く予定である。つまり、低レベル攻略ガイド(テキストファイル版)とか一部のデータベースは置くつもりだが、現在進行中の日記類や作成途中のデータは置かない予定。また、しばらくの間はメインサイトから隔絶した環境にする予定。

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